歴史
1906年、鳥取城の扇御殿跡に片山東熊の設計、橋本平蔵の監督により起工され、翌1907年に竣工しました。建築費は当時の金額で4万3335円でした。建物は木造2階建てで白亜塗りのフレンチルネサンス様式です。1階と2階にはベランダが設けられ、ガラス張りの2階バルコニーからは、市指定名勝の池泉回遊式日本庭園である宝隆院庭園を一望できます。館正面右の螺旋階段は支柱を用いない独特の構造で、外には角尖塔があります。天井と壁には輸入壁紙が張られ、床はアキスミンスターカーペットが敷かれています。
当初は旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸という名目でしたが、皇族の宿泊を意図して設計・建築されたとされています。竣工後すぐに皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の御宿所として利用され、館名は東郷平八郎が命名しました。
明治以降、仁風閣は鳥取市の所有となり、迎賓館や公会堂として利用されました。1943年の鳥取地震で損傷し、修復の際にスレート屋根が瓦葺に変えられました。1949年から1972年まで鳥取県立科学博物館として使用され、1973年には国の重要文化財に指定されました。その後、3年をかけて修復が行われました。
現在、仁風閣は公益財団法人鳥取市文化財団の管理下にあり、館内には鳥取藩と池田家に関する資料が常設展示されています。また、作家や歌人などの文化人の所蔵資料が特別展として展示されることもあります。